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今さら。ヤストのやりかけ練習帳

文章を書けない男が、書く習慣をつけようとするブログ。

親愛なる父へ

昨日も言ったはずです。

「他の誰かに頼んでくれ」と。

こちらに電話をかけるのなら、なぜ米屋さんに配達を頼めないのですか。なぜタクシーを呼べないのですか。

「他人に頼んだら金がかかる」。どんなになかよし親子だったとしても、そうそう聞ける言葉ではありません。

あなたは鼻に管を突っ込んで、首からボンベを下げています。そんな体なら、普通は黙っていても周りが心配してくれるはずです。世話を焼いてくれるはずです。

そうでないのはなぜですか。

これまでにあなたがしてきたこと。そのツケが今、回ってきているからでしょう。

家族に手をあげてきた者には、家族の手を借りるという選択肢はありません。
元気なときには暴力で家庭を壊す。にもかかわらず、自分の体が不自由になると家族の手を借りようとする。家族を舐めないでください。

今あなたは周りが何もしてくれない、ということしか頭の中にありません。それではどれだけ周囲に「あれしてくれ、これしてくれ」と言っても時間の無駄にしかなりません。

自分が変わらないかぎり、周りが動くことはありません。

電話帳を開いてみたらどうでしょう。僕に用事を頼むより、よっぽどはかどりますから。

この文章を投稿しようとしているいま、ふと思いました。
これまでに、僕はいまと同じようなことを何度か書いたことがあります。そのときは、チラシの裏やメモ用紙に書きました。怒りにまかせて感情のままに、ペンを紙に叩きつけて書きなぐります。「ボケが!」だの「クソが!」だの「キチ○イ!」だの、思いつくかぎり罵りのことばを書き散らしました。ひととおり書いたあと、その紙をビリビリに破って捨てます。
これはこれで気分がスッとするのです。しかし、「もしかしたら誰かが読むかもしれない」という意識をもって文を書くほうが気持ちが落ち着くことがわかりました。表現や感情を抑えて書こうとするからです。ひとを罵倒することばを使うと、自分のなかにある怒りが増幅されるのかもしれません。
だからこんな醜い感情でも、ブログで公開するつもりで書いたほうが、というより公開してしまったほうが心の健康にいいのではないか。そんなことを思いました。